「組織的犯罪処罰法の改正案」に断固反対します

いわゆる共謀罪の創設を含む組織的犯罪処罰法改正案が、本年(平成29年)3月21日に、国会に上程されました。

日弁連では、会長声明という形で、直ちに、同法案の廃案すべき旨の意見書が出されています。

 「いわゆる共謀罪の創設を含む組織的犯罪処罰法改正案の国会上程に対する会長声明」


日弁連の2月17日の意見書にもある通り、刑法の「構成要件主義」は、それまでの権力による市民の人権蹂躙の歴史を直視し、

1)法律において構成要件を明記し,構成要件に該当しない行為については処罰の対象とせず、国家の刑罰権の発動を抑制すべきであること、及び

2)その構成要件は,外部に現れた人の「行為」のうち,法益侵害又はその危険性のあるものを個別・具体的に抽出して規定し,処罰の対象となる行為とそうでない行為が明確に区分すること、

により、人権保障機能を持つものです。

しかし、今回のいわゆる共謀罪的な内容を含む「組織的犯罪処罰法」の改正案は、「思考」や「計画」段階という結果発生の危険性が極めて低い段階において犯罪とするものであり、3月における法案の修正にも関わらず、なおその人権侵害の性質は変わっていないと考えられます。

人が、他人の思考自体に基づき、その他人を処罰することは、

 「人間は、過ちを犯す動物である」

という真摯な考えに基づくとき、如何に危険な思想であるかがわかると思います。

人間は、「過ちを犯す動物である」 からこそ、「三権分立」その他の権力分立制度を採用し、「権力の集中」とその「恣意的な行使」を排除するために努力してきたのではなかったでしょうか。

この組織的犯罪処罰法改正案は、間違いを犯さないという政府の思いあがりであり、過去に何も学ばない幼稚な考えに基づくものです。

この改正法案は、戦前の治安維持法及び同法に支えられた特高警察の活動を思い起こさせるものであり、思想弾圧という過去の苦い経験と過ちを、再び繰り返す恐れが非常に高いものと感じられます。

よって、同法改正案に断固反対し、即時廃案を強く訴えます。









災害復興におけるがれきの撤去と民法上の緊急避難

この度の大震災に関し被災地の復興を妨げる要因の一つとして、自分の所有地等に流れ着いた他人の所有物を、勝手に撤去していいのか、という問題があるようです。

民法上の原則では、自分(Aさん)の所有地に他人(Bさん)の所有物が飛んできたような場合、Bの所有物をA自らの判断で撤去することはできず(自力救済の禁止)、妨害排除の請求権があるかどうかを裁判所に判断してもらい、その上で公権力によって当該妨害を排除してもらうことになるはずです。

でも、公権力の発動を待っていては被害が拡大する恐れがあります。
そのために、民法は、「正当防衛」や「緊急避難」という例外を認めていますが、民法上の「正当防衛」は、『他人』の不法行為に対する防衛であり、「緊急避難」は『他人の物』から生じた危難をさけるためのものですから、地震で漂着した他人の物(がれき)を撤去してその下にいる人名を救助することは、緊急避難に該当する可能性があります。しかし、後片付けをすることまでもが「危難」を避けるためといえるかどうか、明確とは言えません。
また、判例では、「原則として私力の行使は、原則として法の禁止するところであるが、法律に定める手続きによったのでは、権利に対する違法な侵害に対処して現状を維持することが不可能又は著しく困難であると認められる緊急やむを得ない特別の事情が存する場合においてのみ、その必要の限度を超えない範囲内で、例外的に許されるものと解することを妨げない」という一般論を述べて、一部自力救済を認めた判断をだしています。
ただ、緊急災害時のがれきの撤去が上記の要件に合致するのかどうか、合致するとしてもどの範囲までなのかについては、専門家にとっても難しい判断になるのではないかと思います。

従って、今〃現在の災害復興(がれきの撤去)というフェーズにおいて、何が違法ではないのかを明確にすることが必要に思います。

また、がれきを撤去したことによってその所有者から損害賠償請求が将来なされたとしても、すべて国や県が肩代わりすることを宣言する、という明確な対応が必要のように思います。

国際契約と国内契約

英文契約は、通常国際間取引に関する契約を意味します。
インターネットの発達等により国際取引の垣根が従来にも増して一層低くなっている昨今、中小企業を含め多くの企業にとって国際契約は避けて通ることのできない課題だと思います。

そこで問題となるのが、「英語」と「契約(法)」の二つです。

「契約書」の内容をどのようにすべきかという点について、そもそも日本語の場合であっても、多くの企業でまだそれほど習熟しているとは言えない状況にあると感じられます。それに加えて、「英語」の壁。

英語について言えば、最近の英語教育が「会話」を重視するあまり、従来日本人が得意としていた「英文法」が逆に不得意になってきているように思います。TOIECの高得点者でも、Listening部門で満点を取っていながら、Reading部門では450点に届かないという方もかなりいらっしゃるようです。
(まあ、英米の高校生が書くEメール自体相当文法的に誤りが多くなっているという話も耳にしますので、日本に限ったことではないかもしれませんが)

そんな中で、如何にして、「国際契約=英文契約」を処理していくか、非常に難しい課題だと言わざるを得ません。

でも、一番大事なことは、実は英語ではなく、「契約的なものの考え方」にどれだけ習熟できるか、ということだと考えています。

英語ができなければ、翻訳者に任せればよい。
でも、ビジネスをどうやって作っていくか、その中でリスクをどうやって減らしたり管理したりするか、ということを、翻訳者は教えてくれません。
そして、ビジネスの構築とかリスクの抽出などの重要性は、日本語の契約を作成する場合とあまり変わらないと思うのです。

だから、企業として心掛けるべきは、英語の前に、「契約」のイロハを多くの人がしっかり学ぶ、ということだと思います。そして、たとえ英語があまりできなくとも、契約を熟知した社員に、英文契約業務を担当させるべきでしょう。
逆に、単に英語ができるからといって、契約に関する考え方を知らない人に、英語の契約の作成を任せてはいけません。事業上のリスク、あるいは法的なリスクを理解できない人がいくら頑張っても良い契約書は出来ないからです。

結論的に言えば、英語は、「やはり道具に過ぎない」、ということでしょうか。(終わり)