続 Of Human Bondage ~ 人間の絆?

ようやく人間の絆、Of Human Bondageを読み終えました。

最後の部分で、次のように書かれていました。

(これから読もうと思っている人は、以下は見ないほうが良いと思います。)

He had lived always in the future, and the present always, always had slipped through his fingers.

His ideals?

He thought of his desire to make a design, intricate and beautiful, out of the myriad, meaningless facts of life: had he not seen also that the simplest pattern, that in which a man was born, worked, married, had chirdlen, and died, was likewise the most perfect?

It might be that to surrender to happiness was to accept defeat, but it was a defeat better than many victories.

「いつも未来に生き、いつもいつも現実がこぼれ落ちてしまった。」と主人公は気づき、「現実の幸福に屈服することは敗北を受けれることではあるが、それはどんな成功より素晴らしい敗北だ。」と述べている。

「こうあらねばならない」
「このように生きなければならない」
という生き方は、立派なのかもしれません。

でも、人は「こうあらねばならない」という生き方を、常にできるわけではないと思います。(もちろん、犯罪等反社会的な行動をとらないということを超えた、いわば理想に関しての「ねばならない」という問題です)

自分の理想から外れた時にも、なお人生を肯定するためには、mustの考え方を捨てなければならないように思います。

「こうあらねばならない」という「must」の人生観から解放されたとき、人は初めて「自由に生きること」、そして「生きることの素晴らしさ」を知るのかもしれません。


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Of human bondage-人間の絆?

最近、久しぶりに小説を読んでいます。

ずっと放りっぱなしだったサマセット・モームの「Of human bondage」(邦訳「人間の絆」)も、残り少なくなりました。

その中で、気に入った表現がありました。
第108章の最後の次の部分です。

"Life was not so horrible if it was meaningless, and he faced it with a strange sense of power."

この部分、中野好夫さんの昭和35年翻訳版では
「無意味と決まってしまえば、人生もそう怖くはない。彼は、一種奇妙な確信をもって、人生に対した。」
となっています。

この訳で「horrible」を「怖い」と訳しておられます。

私のような者がこのようなことを言うのは不遜であることは重々承知してはおりますが、この場面が、主人公が「ひどい人生だなあ」と自殺を考えている部分ですから、「怖い」というより「ひどい」という意味のほうが適切かなあと思っています。

で、結局、この文章の意味として私が理解したのは、
「もし人生に意味がないとしたら、人生はそれほどひどいものじゃない。」
ということです。(「もし人生に意味がないとしても」ではありません。)
人生に意味がないのだから、ひどいものじゃないよ、という意味だと思います。

というのも、その少し前の第106章の最後のほうに、
"His life had seemed horribile when it was measured by its happiness, but now he seemed to gather strength as he realized that it might be measured by something else."
とあり、「幸福でならなければならない」「幸福にならなければならない」という呪縛から解放されたことにより、彼は人生はそれほどひどいものではないと感じているようであり、上記の108章の文もこれにつながっていると思われるからです。

ここでは、彼が既成概念として有している幸福あるいは幸福感というものが達成されることが人生の成功の尺度である、という呪縛から主人公が解放されつつある状況を表しているように思われます。

この主人公は、神父の叔父に育てられ、イギリスにおけるいわば階級としてのgentlemanとして生きることを当然と思い、しかしながら自らの身体的不遇などに苦しめられながら、生きることを非常に狭く考え、なにものかにとらわれて生きてきた人であり、わずかばかりの財産すら失った失意のなかで、上記のような感想を漏らすことになります。

上記108章の文の直前に、次のような一節があります。

"Philip(=主人公) thought of the countless millions to whom life is no more than unending labr, neither beautiful nor ugly, but just to be accpeted in the same spirit as one accepts the changes of the seasons."

人は、ただ生まれ苦しみ死んでいく。そこに「所与の目的」あるいは「達成しなければならない目的」なるものは存在しない。ただあるのは生きるという事実であり、だからこそ人は自由に生きられるし、自由に生きることが許されるのだろうと思う。

そこで、ふと思いました。

この小説の現代は「Of human bomdage」です。

これを、日本語訳では通常「人間の絆」と訳します。

でも、私には、現代ではプラスの語感を持つ「絆」という言葉は、この小説の表題として適切でないように思えてなりません。
そもそもbondageなのですから、「呪縛」とか「束縛」という用語が妥当なのだろうと思います。

ただ、そのまま「人間の呪縛」とか「束縛からの脱出」といった訳にすることが、小説翻訳として正しいのかと問われると、疑問なしとしません。あまりに直訳すぎるようにも思われるからです。
その意味で、原翻訳者は、友人間のつながりをイメージさせつつ、実は「束縛」を暗示したものとして「絆」という言葉をあえて用いたのかもしれないと、勝手に想像しています。


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