諫言、耳に痛し

甘言耳に快く、諫言耳に痛し。(or諫言耳に逆らう)

吉本興業の一連の騒動をみての感想です。

あくまで私個人の意見ですが、どうも日本人は、建設的な意見や批判がなされた場合

      諫言=文句・非難

と捉える場合が多いように思います。

諫言は、相手方(又は自分の会社)を良くしようという目的で、かつ勇気を振り絞ってなされるものです。

しかし、それを「文句」と捉える相手、特に会社や組織が、とても多いように思います。
(あくまで私の経験です)

このような人が多いことの理由はわかりません。
和を以て貴しとなすという聖徳太子の17条の憲法を誤解しているからなのか、江戸時代の村八分を恐れる記憶なのか、隣組制度の名残なのか、島国だからなのか....
(ちなみに、「和を以て貴しとなす」とは、単に「仲良くせよ」という意味ではなく、「徹底的に議論せよ」という意味だそうです)

会社に何らかの改善提案を行うことは、多くの会社で「タブー」とされているように思われてなりません。
何か言うと、「お前は、俺や会社にケチをつけるのか!
と考えるような人のなんと多いこと。

ちなみに、現状ではあまり活用されていないとも言われていますが、大きな企業では「内部通報制度」を定めて、違法な活動や不正行為がある場合、内部の担当部門に通報することを可能とする制度を採用しているところが多いはずですが、この制度は「違法」「不正」の場合ですので、非常に重大なものであり、通報する側には非常に大きな心理的な負担がかなるため、活用することは難しいとも思われます。
従って通報制度という重大な「諫言」を受け付ける制度だけでは、より良い企業活動をもたらすことになならないでしょう。

組織は、何らかの自浄作用を持たなければならないと思います。
その自浄作用を確保する一番の方策は、社員すべてが「諫言耳に痛し」という言葉の意味を理解することだと、私は思います。



-英文・和文契約書の専門事務所-
寺村総合法務事務所


ホームページ


〇 英文契約のページ  
〇 和文契約のページ  



基本的人権の無視~ジャーナリストに対する旅券発給拒絶

外務省のジャーナリストに対する旅券発給拒絶」は、日本の行政府が、
いま、日本の将来にとって非常に危険な状態にあることを示唆すると言わざるを得ません。

ジャーナリストの安田純平氏が、外務省にパスポートの申請をしたが、拒否されたそうです。

外務省は
 「トルコから入国禁止の措置を受けたため、旅券法上パスポートの発給の制限の対象となる
という理由を記載した通知書を送っているようです。

また、NHKによれば、「個別の案件については答えられないが、それぞれの申請について、旅券法の関連規定に照らして慎重に検討している」と回答したそうです。

しかし、本当に慎重に検討したのでしょうか?
この措置は、単に、法律の規定を拡大解釈しただけのように思います。

旅券法第13条は次のように規定しています

----旅券法第13条-------
●旅券法第十三条第1項 外務大臣又は領事官は、一般旅券の発給又は渡航先の追加を受けようとする者が次の各号のいずれかに該当する場合には、一般旅券の発給又は渡航先の追加をしないことができる。
 1.渡航先に施行されている法規によりその国に入ることを認められない者
 2.死刑、無期若しくは長期二年以上の刑に当たる罪につき訴追されている者又はこれらの罪を犯した疑いにより逮捕状、勾こう引状、勾こう留状若しくは鑑定留置状が発せられている旨が関係機関から外務大臣に通報されている者

 (3.4.5.6号省略~一定の犯罪等が記載されている)
 7.前各号に掲げる者を除くほか、外務大臣において、著しく、かつ、直接に日本国の利益又は公安を害する行為を行うおそれがあると認めるに足りる相当の理由がある者
----以上旅券法第13条------

外務省は、恐らく第1項を適用したものと思われます。
安田氏の申請した旅券(パスポート)の渡航先にはトルコが含まれていたのでしょう。

しかし、トルコへの入国が禁止されたから、形式的に第1号を適用するという姿勢は、いかがなものでしょう。

安田氏が言っている通り、 「トルコの入国禁止措置を理由に世界のどこにも行けなくなるというのは、憲法に保障された基本的人権を著しく制限するものだ」 といえるでしょう。

旅券法が制定された当時(昭和26年)、一般人が外国に行くことは稀でしたが、今の社会は、それとは全く違うという事情のみならず、外国に行く自由(出国の自由)は、基本的人権の一つになっていると言えます。

勿論、トルコに入国できるかどうかは、トルコ政府が判断すべきことです
しかし、トルコから入国禁止処分を受けているからと言って、何ら犯罪に加担したわけでもない(むしろ被害者である)人の出国の自由を奪う権利が、国家にあるのでしょうか?

 「法律を文理にそって解釈すれば、処分することは違法ではない」  だから
 「淡々と法律に則って処分を行う」
という考え方は、一見すると正しそうです。

しかし、第2次大戦前の日本を思い浮かべてみたとき、そこに大きな間違いがあり、大きな過ちに繋がる契機が潜んでいることを忘れてはいけません。
戦前の日本、特高警察なども、すべて法律の定めに基づきて、合法的になされたものです。
法律の規定に「形式的に」合致していたとしても、決して正しいとは限りません。

特に、上記の行政処分は、国家や行政から私人に対する権利の制限を伴うものであり、刑罰にも似た性質をもつものです。

従って、刑法の罪刑法定主義に関してよく言われるように、私人の権利を制限する処分を行う場合、そこには「謙抑性」という考え方が働くべきです。

上記の旅券法における不発給処分を行う場合の他の定めは、重大な犯罪を犯した者、旅券法に違反したものなどです。つまり、ここで想定されているのは、犯罪を犯した者を国外に出さないということです。
それを踏まえると、この第1号は、外国で犯罪などを犯して入国禁止になった者について、不発給処分を行える、と考えるべきです。

何ら犯罪に関与していない者に対し、形式論により旅券を発行しないのは、まさに、上記の「謙抑性」に反するものであり、基本的人権の尊重という憲法の理念を理解していないものと言えます。

国民が外国に行くことが稀であった法律の規定をそのままにしていることにも問題ががりますが、法律を形式的に遵守していれば、なんでもできる、という考え方は、非常に危険です。
法律の定め方は、どうしても一般的抽象的にならざるを得ません。
恣意的にその法律を運用をすることを、全て排除できるものでもありません。
しかし、いやだからこそ、政府・行政・警察機関には、この「謙抑性」ということを遵守する必要があり、また国民は常にそれを監視していかなければならないと思います。

ここには、2013年に成立した「特定秘密の保護に関する法律」の問題がからみます。
この法律により国民の監視機能が制限されており、恣意的な隠ぺいが可能となっています。
主権者たる国民の判断材料である情報を漏れなく開示し、そのうえで国民が判断していくという制度が保証されなければ、民主主義は破壊されてしまいます。
第二次大戦前、治安維持法を作って世論を合法的に」抑え込んでいった状況を作り出すことは、何とか避けなければならないと思います。憲法改正云々をする前に、このような当たり前のことを、外務省のような超のつくエリート集団が胆に銘ずべきだと考えます。



-英文・和文契約書の専門事務所-
寺村総合法務事務所


ホームページ


〇 英文契約のページ  
〇 和文契約のページ  





参議院議員選挙

参議院選挙。

幸いなことに、改憲勢力は3分の2を下回りました。

押しつけ憲法だからいやだ、などという子供じみたことを言わず、

次の世代のために、現行憲法の

「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」という

崇高な理念を守っていくべきだと思います。




-英文・和文契約書の専門事務所-
寺村総合法務事務所


ホームページ


〇 英文契約のページ  
〇 和文契約のページ  





基本的人権の無視~ジャーナリストに対する旅券発給拒絶

先日の「海でもなく 山でもなく 投票所へ」で行政の人権感覚のなさを書きました。

しかし、本日ニュースになった「外務省のジャーナリストに対する旅券発給拒絶」は、単に人権感覚がないどころではありません。
政府や行政が、いま、日本の将来にとって非常に危険な状態にあることを示唆すると言わざるを得ません。

ジャーナリストの安田純平氏が、外務省にパスポートの申請をしたが、拒否されたそうです。

外務省は 「トルコから入国禁止の措置を受けたため、旅券法でパスポートの発給の制限の対象となる
という理由を記載した通知書を送っているようです。

また、NHKによれば、「個別の案件については答えられないが、それぞれの申請について、旅券法の関連規定に照らして慎重に検討している」と回答したそうです。

しかし、本当に慎重に検討したのでしょうか?
この措置は、単に、法律の規定を拡大解釈しただけのように思います。

旅券法第13条は次のように規定しています

----旅券法第13条-------
●旅券法第十三条第1項 外務大臣又は領事官は、一般旅券の発給又は渡航先の追加を受けようとする者が次の各号のいずれかに該当する場合には、一般旅券の発給又は渡航先の追加をしないことができる。
 1.渡航先に施行されている法規によりその国に入ることを認められない者
 2.死刑、無期若しくは長期二年以上の刑に当たる罪につき訴追されている者又はこれらの罪を犯した疑いにより逮捕状、勾こう引状、勾こう留状若しくは鑑定留置状が発せられている旨が関係機関から外務大臣に通報されている者
 (3.4.5.6号省略~一定の犯罪等が記載されている)
 7.前各号に掲げる者を除くほか、外務大臣において、著しく、かつ、直接に日本国の利益又は公安を害する行為を行うおそれがあると認めるに足りる相当の理由がある者
----以上旅券法第13条------

外務省は、恐らく第1項を適用したものと思われます。
安田氏の申請した旅券(パスポート)の渡航先にはトルコが含まれていたのでしょう。

しかし、トルコへの入国が禁止されたから、形式的に第1号を適用するという姿勢は、いかがなものでしょう。

安田氏が言っている通り、 「トルコの入国禁止措置を理由に世界のどこにも行けなくなるというのは、憲法に保障された基本的人権を著しく制限するものだ」 といえるでしょう。

旅券法が制定された当時(昭和26年)、一般人が外国に行くことは稀でしたが、今の社会は、それとは全く違うという事情のみならず、外国に行く自由(出国の自由)は、基本的人権の一つになっていると言えます。

勿論、トルコに入国できるかどうかは、トルコ政府が判断すべきことです
しかし、トルコから入国禁止処分を受けているからと言って、何ら犯罪に加担したわけでもない(むしろ被害者である)人の出国の自由を奪う権利が、国家にあるのでしょうか?

 「法律を文理にそって解釈すれば、処分することは違法ではない」  だから
 「淡々と法律に則って処分を行う」
という考え方は、一見すると正しそうです。

しかし、第2次大戦前の日本を思い浮かべてみたとき、そこに大きな間違いがあり、大きな過ちに繋がる契機が潜んでいることを忘れてはいけません。
戦前の日本、特高警察なども、すべて法律の定めに基づきて、合法的になされたものです。
法律の規定に「形式的に」合致していたとしても、決して正しいとは限りません。

特に、上記の行政処分は、国家や行政から私人に対する権利の制限を伴うものであり、刑罰にも似た性質をもつ行為です。

従って、刑法の罪刑法定主義に関してよく言われるように、私人の権利を制限する処分を行う場合、そこには「謙抑性」という考え方が働くべきです。

上記の旅券法における不発給処分を行う場合の他の定めは、重大な犯罪を犯した者、旅券法に違反したものなどです。つまり、ここで想定されているのは、犯罪を犯した者を国外に出さないということです。
それを踏まえると、この第1号は、外国で犯罪などを犯して入国禁止になった者について、不発給処分を行える、と考えるべきです。

犯罪に何ら関与していない者に対し、形式論により旅券を発行しないのは、まさに、上記の「謙抑性」に反するものであり、基本的人権の尊重という憲法の理念を理解していないものと言えます。

法律を形式的に遵守していれば、なんでもできる、という考え方は、軍国主義化するために治安維持法を作って国内の反対勢力を「合法的に」抑え込んでいった戦前のものと、何ら変わらないように思われます。

憲法改正云々をする前に、このような当たり前のことを、外務省のような超のつくエリート集団が胆に銘ずべきだと考えます。






-英文・和文契約書の専門事務所-
寺村総合法務事務所


ホームページ


〇 英文契約のページ  
〇 和文契約のページ  



老子の言葉 ~ 今を生きる...

老子の言葉を翻訳した英文が、NHKの
実践ビジネス英語2018年3月号の本文に
書かれていました。

"If you're depressed, you're living in the past, and
if you're anxious, you're living in the future.
But iuf you're at peace, you're living in the present.
"

過去を振り返らず、将来に不安を覚えず、今時点を生きることができれば、
人はみな穏やかになれるということです。

ただ、将来に不安を覚えないで生きられる人は、
どの程度いるのでしょうか?

過去は終わったことだから、振り返らないようにしよう、と思えばよいのかも
しれません。
しかし、将来の不安は、
 自己の経済的側面や健康の問題、
 地球環境や日本の災害の恐れ、
 国際間の貿易問題、戦争への危惧、
 子供世代の動向、AIによる業務の激変、
等々、その原因に枚挙のいとまはありません。

現代において、確かに老子の言うように生きられれば、
穏やかなのでしょうが、どうしても穏やかには生きられない、
そんな人ばかりのように思えてなりません。
勿論、わたしもその一人。
仕事などを終えてふと我に返った時に、
様々な不安が沸きあがってきます。

人類に、平穏がもたらされる日は、今後果たしてやってくるのでしょうか。

それとも、それらはすべて「個々人の心の持ち方次第」という、まるで
どこかの総理大臣の「すべては自己責任」という主張に似た「暴論」でしか、
存在しえないのでしょうか?




-英文・和文契約書の専門事務所-
寺村総合法務事務所


ホームページ


〇 英文契約のページ  
〇 和文契約のページ