講座案内-英文契約の実務-が掲載されました

いよいよ、夏本番ですね。
ここ立川も35度を超えたようです。

さて、本年(2019年)の10月から開講される
  英文契約の実務 ― 基本読解編 ―
 -英文契約の基本構造とその読み方-
の講座案内が、早稲田大学のウェブに掲載されましたので、
お知らせいたします。

上記のリンク先は、
  https://www.wuext.waseda.jp/course/detail/46920/
です。

受講申し込みの受付開始時期は、次の通りです。
  会員の先行受付: 8月5日~8月23日まで
  一般の方の受付: 9月10日から(定員に達するまで)

上記リンク先からお申し込みが可能です。


講義日程とその内容は、次の通りです

日程:2019年10月9日~、毎週水曜日、夜19時15分から20時45分
    (10/9, 10/16, 10/23, 10/30, 11/6, 11/13 の計6回)
講義の目標
英文契約の基本的な構造と英文契約に特徴的な条項、表現、用語を理解することにより、それほど難解ではないレベルの英文契約を正しく理解し翻訳できる力を養うことを目標とします。

講義概要
レジメを用い、英文契約の基本構造、英文契約に特徴的な基本的条項、表現および用語を解説するとともに、具体的な条項例を引用し、その意味、解釈や翻訳のポイントの説明を行います。
なお、英文契約条項の検討と並行し国内企業間の和文契約の考え方や問題点についても適宜検討します。
さらに英文契約と国内契約の背景にある英米法や民法などの法的な考え方についても同時に検討します。

第1回 10/09: 契約の目的、英文契約の特殊性と読み方、コモンロー・約因・パロールエビデンス、英文契約特有用語
第2回 10/16: 英文契約特有の用語、英文契約の基本構造、リサイタル条項、定義条項等
第3回 10/23: 準拠法、紛争解決、譲渡禁止、権利非放棄、分離解釈、表明・保証、責任制限、完全合意、不可抗力等
第4回 10/30: 当事者の関係、秘密保持、知的財産権、期間、解除、通知等
第5回 11/06: 売買基本 / 販売店契約特有条項― 対価、支払方法、インコタームズ、保証、瑕疵担保、所有権・危険の移転等
第6回 11/13: 基本契約、個別契約、販売店の任命、ミニマムパーチャス(最低購入量)、直接交渉の禁止等、競合禁止等




  
1冊でおさえる        はじめての英文契約の読み方  
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諫言、耳に痛し

甘言耳に快く、諫言耳に痛し。(or諫言耳に逆らう)

吉本興業の一連の騒動をみての感想です。

あくまで私個人の意見ですが、どうも日本人は、建設的な意見や批判がなされた場合

      諫言=文句・非難

と捉える場合が多いように思います。

諫言は、相手方(又は自分の会社)を良くしようという目的で、かつ勇気を振り絞ってなされるものです。

しかし、それを「文句」と捉える相手、特に会社や組織が、とても多いように思います。
(あくまで私の経験です)

このような人が多いことの理由はわかりません。
和を以て貴しとなすという聖徳太子の17条の憲法を誤解しているからなのか、江戸時代の村八分を恐れる記憶なのか、隣組制度の名残なのか、島国だからなのか....
(ちなみに、「和を以て貴しとなす」とは、単に「仲良くせよ」という意味ではなく、「徹底的に議論せよ」という意味だそうです)

会社に何らかの改善提案を行うことは、多くの会社で「タブー」とされているように思われてなりません。
何か言うと、「お前は、俺や会社にケチをつけるのか!
と考えるような人のなんと多いこと。

ちなみに、現状ではあまり活用されていないとも言われていますが、大きな企業では「内部通報制度」を定めて、違法な活動や不正行為がある場合、内部の担当部門に通報することを可能とする制度を採用しているところが多いはずですが、この制度は「違法」「不正」の場合ですので、非常に重大なものであり、通報する側には非常に大きな心理的な負担がかなるため、活用することは難しいとも思われます。
従って通報制度という重大な「諫言」を受け付ける制度だけでは、より良い企業活動をもたらすことになならないでしょう。

組織は、何らかの自浄作用を持たなければならないと思います。
その自浄作用を確保する一番の方策は、社員すべてが「諫言耳に痛し」という言葉の意味を理解することだと、私は思います。



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基本的人権の無視~ジャーナリストに対する旅券発給拒絶

外務省のジャーナリストに対する旅券発給拒絶」は、日本の行政府が、
いま、日本の将来にとって非常に危険な状態にあることを示唆すると言わざるを得ません。

ジャーナリストの安田純平氏が、外務省にパスポートの申請をしたが、拒否されたそうです。

外務省は
 「トルコから入国禁止の措置を受けたため、旅券法上パスポートの発給の制限の対象となる
という理由を記載した通知書を送っているようです。

また、NHKによれば、「個別の案件については答えられないが、それぞれの申請について、旅券法の関連規定に照らして慎重に検討している」と回答したそうです。

しかし、本当に慎重に検討したのでしょうか?
この措置は、単に、法律の規定を拡大解釈しただけのように思います。

旅券法第13条は次のように規定しています

----旅券法第13条-------
●旅券法第十三条第1項 外務大臣又は領事官は、一般旅券の発給又は渡航先の追加を受けようとする者が次の各号のいずれかに該当する場合には、一般旅券の発給又は渡航先の追加をしないことができる。
 1.渡航先に施行されている法規によりその国に入ることを認められない者
 2.死刑、無期若しくは長期二年以上の刑に当たる罪につき訴追されている者又はこれらの罪を犯した疑いにより逮捕状、勾こう引状、勾こう留状若しくは鑑定留置状が発せられている旨が関係機関から外務大臣に通報されている者

 (3.4.5.6号省略~一定の犯罪等が記載されている)
 7.前各号に掲げる者を除くほか、外務大臣において、著しく、かつ、直接に日本国の利益又は公安を害する行為を行うおそれがあると認めるに足りる相当の理由がある者
----以上旅券法第13条------

外務省は、恐らく第1項を適用したものと思われます。
安田氏の申請した旅券(パスポート)の渡航先にはトルコが含まれていたのでしょう。

しかし、トルコへの入国が禁止されたから、形式的に第1号を適用するという姿勢は、いかがなものでしょう。

安田氏が言っている通り、 「トルコの入国禁止措置を理由に世界のどこにも行けなくなるというのは、憲法に保障された基本的人権を著しく制限するものだ」 といえるでしょう。

旅券法が制定された当時(昭和26年)、一般人が外国に行くことは稀でしたが、今の社会は、それとは全く違うという事情のみならず、外国に行く自由(出国の自由)は、基本的人権の一つになっていると言えます。

勿論、トルコに入国できるかどうかは、トルコ政府が判断すべきことです
しかし、トルコから入国禁止処分を受けているからと言って、何ら犯罪に加担したわけでもない(むしろ被害者である)人の出国の自由を奪う権利が、国家にあるのでしょうか?

 「法律を文理にそって解釈すれば、処分することは違法ではない」  だから
 「淡々と法律に則って処分を行う」
という考え方は、一見すると正しそうです。

しかし、第2次大戦前の日本を思い浮かべてみたとき、そこに大きな間違いがあり、大きな過ちに繋がる契機が潜んでいることを忘れてはいけません。
戦前の日本、特高警察なども、すべて法律の定めに基づきて、合法的になされたものです。
法律の規定に「形式的に」合致していたとしても、決して正しいとは限りません。

特に、上記の行政処分は、国家や行政から私人に対する権利の制限を伴うものであり、刑罰にも似た性質をもつものです。

従って、刑法の罪刑法定主義に関してよく言われるように、私人の権利を制限する処分を行う場合、そこには「謙抑性」という考え方が働くべきです。

上記の旅券法における不発給処分を行う場合の他の定めは、重大な犯罪を犯した者、旅券法に違反したものなどです。つまり、ここで想定されているのは、犯罪を犯した者を国外に出さないということです。
それを踏まえると、この第1号は、外国で犯罪などを犯して入国禁止になった者について、不発給処分を行える、と考えるべきです。

何ら犯罪に関与していない者に対し、形式論により旅券を発行しないのは、まさに、上記の「謙抑性」に反するものであり、基本的人権の尊重という憲法の理念を理解していないものと言えます。

国民が外国に行くことが稀であった法律の規定をそのままにしていることにも問題ががりますが、法律を形式的に遵守していれば、なんでもできる、という考え方は、非常に危険です。
法律の定め方は、どうしても一般的抽象的にならざるを得ません。
恣意的にその法律を運用をすることを、全て排除できるものでもありません。
しかし、いやだからこそ、政府・行政・警察機関には、この「謙抑性」ということを遵守する必要があり、また国民は常にそれを監視していかなければならないと思います。

ここには、2013年に成立した「特定秘密の保護に関する法律」の問題がからみます。
この法律により国民の監視機能が制限されており、恣意的な隠ぺいが可能となっています。
主権者たる国民の判断材料である情報を漏れなく開示し、そのうえで国民が判断していくという制度が保証されなければ、民主主義は破壊されてしまいます。
第二次大戦前、治安維持法を作って世論を合法的に」抑え込んでいった状況を作り出すことは、何とか避けなければならないと思います。憲法改正云々をする前に、このような当たり前のことを、外務省のような超のつくエリート集団が胆に銘ずべきだと考えます。



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参議院議員選挙

参議院選挙。

幸いなことに、改憲勢力は3分の2を下回りました。

押しつけ憲法だからいやだ、などという子供じみたことを言わず、

次の世代のために、現行憲法の

「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」という

崇高な理念を守っていくべきだと思います。




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基本的人権の無視~ジャーナリストに対する旅券発給拒絶

先日の「海でもなく 山でもなく 投票所へ」で行政の人権感覚のなさを書きました。

しかし、本日ニュースになった「外務省のジャーナリストに対する旅券発給拒絶」は、単に人権感覚がないどころではありません。
政府や行政が、いま、日本の将来にとって非常に危険な状態にあることを示唆すると言わざるを得ません。

ジャーナリストの安田純平氏が、外務省にパスポートの申請をしたが、拒否されたそうです。

外務省は 「トルコから入国禁止の措置を受けたため、旅券法でパスポートの発給の制限の対象となる
という理由を記載した通知書を送っているようです。

また、NHKによれば、「個別の案件については答えられないが、それぞれの申請について、旅券法の関連規定に照らして慎重に検討している」と回答したそうです。

しかし、本当に慎重に検討したのでしょうか?
この措置は、単に、法律の規定を拡大解釈しただけのように思います。

旅券法第13条は次のように規定しています

----旅券法第13条-------
●旅券法第十三条第1項 外務大臣又は領事官は、一般旅券の発給又は渡航先の追加を受けようとする者が次の各号のいずれかに該当する場合には、一般旅券の発給又は渡航先の追加をしないことができる。
 1.渡航先に施行されている法規によりその国に入ることを認められない者
 2.死刑、無期若しくは長期二年以上の刑に当たる罪につき訴追されている者又はこれらの罪を犯した疑いにより逮捕状、勾こう引状、勾こう留状若しくは鑑定留置状が発せられている旨が関係機関から外務大臣に通報されている者
 (3.4.5.6号省略~一定の犯罪等が記載されている)
 7.前各号に掲げる者を除くほか、外務大臣において、著しく、かつ、直接に日本国の利益又は公安を害する行為を行うおそれがあると認めるに足りる相当の理由がある者
----以上旅券法第13条------

外務省は、恐らく第1項を適用したものと思われます。
安田氏の申請した旅券(パスポート)の渡航先にはトルコが含まれていたのでしょう。

しかし、トルコへの入国が禁止されたから、形式的に第1号を適用するという姿勢は、いかがなものでしょう。

安田氏が言っている通り、 「トルコの入国禁止措置を理由に世界のどこにも行けなくなるというのは、憲法に保障された基本的人権を著しく制限するものだ」 といえるでしょう。

旅券法が制定された当時(昭和26年)、一般人が外国に行くことは稀でしたが、今の社会は、それとは全く違うという事情のみならず、外国に行く自由(出国の自由)は、基本的人権の一つになっていると言えます。

勿論、トルコに入国できるかどうかは、トルコ政府が判断すべきことです
しかし、トルコから入国禁止処分を受けているからと言って、何ら犯罪に加担したわけでもない(むしろ被害者である)人の出国の自由を奪う権利が、国家にあるのでしょうか?

 「法律を文理にそって解釈すれば、処分することは違法ではない」  だから
 「淡々と法律に則って処分を行う」
という考え方は、一見すると正しそうです。

しかし、第2次大戦前の日本を思い浮かべてみたとき、そこに大きな間違いがあり、大きな過ちに繋がる契機が潜んでいることを忘れてはいけません。
戦前の日本、特高警察なども、すべて法律の定めに基づきて、合法的になされたものです。
法律の規定に「形式的に」合致していたとしても、決して正しいとは限りません。

特に、上記の行政処分は、国家や行政から私人に対する権利の制限を伴うものであり、刑罰にも似た性質をもつ行為です。

従って、刑法の罪刑法定主義に関してよく言われるように、私人の権利を制限する処分を行う場合、そこには「謙抑性」という考え方が働くべきです。

上記の旅券法における不発給処分を行う場合の他の定めは、重大な犯罪を犯した者、旅券法に違反したものなどです。つまり、ここで想定されているのは、犯罪を犯した者を国外に出さないということです。
それを踏まえると、この第1号は、外国で犯罪などを犯して入国禁止になった者について、不発給処分を行える、と考えるべきです。

犯罪に何ら関与していない者に対し、形式論により旅券を発行しないのは、まさに、上記の「謙抑性」に反するものであり、基本的人権の尊重という憲法の理念を理解していないものと言えます。

法律を形式的に遵守していれば、なんでもできる、という考え方は、軍国主義化するために治安維持法を作って国内の反対勢力を「合法的に」抑え込んでいった戦前のものと、何ら変わらないように思われます。

憲法改正云々をする前に、このような当たり前のことを、外務省のような超のつくエリート集団が胆に銘ずべきだと考えます。






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「海でもなく 山でもなく 投票所へ」 この人権感覚のなさ...

立川市の参議院選挙の投票を呼び掛ける標語に、唖然...

いわく、 
     海でもなく
     山でもなく
     投票所へ

これが、「海や山だけでなく投票も」 などといった
標語であれば、違和感はありません。

でも、市の標語は、
 「海にもいかず、山にもいかないで、投票せよ」
という意味にしか、私には取れません。

国会議員の投票は、国民の権利です。
誰に投票するかは勿論のこと、白票を投じたり、投票しないことを選択するのも
国民一人一人の自由ですよね。
国民の基本的人権の一つである投票「権」であって、
投票の義務ではありません。

勿論、政治的無関心は、社会や国家の破滅を意味しますから、
政治的な関心を持った方が良いとは思います。
しかし、夏休みに山へ行こう、海へ行こうと思っている人に向かって、
  「投票しないでレジャーに行くのは、非国民だ」
という意味の言葉を投げかけるのは、いかがなものでしょうか?

人権を尊重しないような政権党の議員が多数いますが、そのような
人権感覚のなさが、各層の役人にも投影されているのでしょうか?
(立川市役所だけの問題であることを、祈るまでです)






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老子の言葉 ~ 今を生きる...

老子の言葉を翻訳した英文が、NHKの
実践ビジネス英語2018年3月号の本文に
書かれていました。

"If you're depressed, you're living in the past, and
if you're anxious, you're living in the future.
But iuf you're at peace, you're living in the present.
"

過去を振り返らず、将来に不安を覚えず、今時点を生きることができれば、
人はみな穏やかになれるということです。

ただ、将来に不安を覚えないで生きられる人は、
どの程度いるのでしょうか?

過去は終わったことだから、振り返らないようにしよう、と思えばよいのかも
しれません。
しかし、将来の不安は、
 自己の経済的側面や健康の問題、
 地球環境や日本の災害の恐れ、
 国際間の貿易問題、戦争への危惧、
 子供世代の動向、AIによる業務の激変、
等々、その原因に枚挙のいとまはありません。

現代において、確かに老子の言うように生きられれば、
穏やかなのでしょうが、どうしても穏やかには生きられない、
そんな人ばかりのように思えてなりません。
勿論、わたしもその一人。
仕事などを終えてふと我に返った時に、
様々な不安が沸きあがってきます。

人類に、平穏がもたらされる日は、今後果たしてやってくるのでしょうか。

それとも、それらはすべて「個々人の心の持ち方次第」という、まるで
どこかの総理大臣の「すべては自己責任」という主張に似た「暴論」でしか、
存在しえないのでしょうか?




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Sapiens(サピエンス全史)の一節/その2

SAPIENS(邦題:サピエンス全史)の続き。

(ペーパーバック版)127ページ。
(The following) three main factors prevent perple from realising that
the order organising their lives ezxists only in ther inagination:


この一文は、それまでの
 「人間は平等だ」、 「皆等しく人権をもって生まれてくる」
 「自由市場が最も優れた経済システムだ」
といった人類の最近の「order(秩序といった意味)」や、
ハンムラビ法典の
 「目には目を、歯には歯を」「社会の社会身分・階層は3つである」
といった昔のOrderなどは、
すべて、単なる想像上のものに過ぎないにも拘わらず、
人間はそれを想像上のものではなく、真実の
ものであると考えてしまう、という文脈を経て、
その原因を探っていくための導入文です。

そこには、
   「神」  とか
  「自然法思想」 といった
人間を超越している何かが存在するから
 (というより「存在していると信じている」から)
それを想像上のものであるとは気づかない、
という結論です。

そして、最初の英文に対する答えとして、
次の3つを上げています

1)The imagined order is embedded in the material world. (p127)
2)The imagined order shapes our desires. (p.128)
3)The imadgined orderis inter-subjective. (p.131)


1)想像上のものであるはずのOrder(社会秩序に関するその時代の社会の共通認識、秩序)
は、現実世界の中に深く組み込まれており、
生まれ育った環境のいたるところに、それがみられること、  また、

2)生まれた時から、生まれる前に既に社会的な共通価値となっている秩序や考え方が
存在し、深層においてそのようなOrderが望ましいと思っており、 さらに、

3)この秩序は、自らだけの想像の中にある主観的なものではなく、間主観的、つまり
複数の人間において同意が成り立っている状態のものであり、それを変えるには、
自分だけの考え方を改めるだけでは不足で、何百万人という多数の人の主観を変
えなければいけないものであること。

と続いていきます。

近代・現代憲法では、自然法思想、天賦人権説などに基づ、基本的人権の享有、
人間の本質的平等、国民主権といった基本的な原則が各国で採用されています。

しかし、これも、要するに、そのような制度、秩序を採用したほうが、社会を納めやすい
から、という理由で、広まり、信じられているに過ぎない、ということになります。

人間が平等であるというのは、確かに幻想でしかありません。
生物学的にも、また生まれ育った家、環境も、みな違います。
にも拘わらず、「本質的に同じだ」という考え方を採用し、啓蒙し、人々の間主観的な
考え方、Orderとなっていったことにより、あたかも、それが当たり前であるかのような
錯覚を覚えているに過ぎないのでしょう。

このような考えを前提にすると、上記のような根本的な概念ではなく、もう少し狭い
範囲で採用されているOrder、(資本家といった)ある階層の中で当たり前だと信じ
られているOrderを、簡単に変えるのは非常に困難だということになります。

自民党のコア支持層である資本家層などでは、恐らく、
我々のような非資本家層では思いもよらない思想を、
当たり前のことだと信じている可能性があります。
それも、その社会階層の中においては、一つのOrderでしょうから、
それを変えるのは非常にむつかしいということになります。
憲法は絶対に改正しなければならい、という思い込みも、
単なる思い込みではなく、資本化階層のOrderであるとすれば、
その思い込みをなくしていくのには、悠久の時が必要なのでしょうか。


それにしても、この本、なかなか先へ進みません。
考えさせられることが多いためでしょうか?




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