ポエム化する日本~クローズアップ現代より

1月14日のNHKクローズアップ現代で、若者のみならず「条例」の前文にすら登場する、いわゆる「ポエム」について、番組が組まれていました。

自分の逆境に負けず、自分や仲間を鼓舞するべく、感情に訴えかけるポエム的な文章を唱えるという現象。

ある意味で、日本人らしい現象と言えるでしょう。

しかし、国谷キャスターも同じ趣旨のことを言っておられましたが、この風潮は、社会の矛盾を個人の問題に置き換え、社会の問題を覆い隠し、見えないものにしてしまう恐れがあり、日本の将来に大きな影を落とす可能性があるでしょう。

十数年前位から顕著になった「劇場政治」=論理や内容を説明せず、感情に訴えかけてスタンドプレーで庶民をリードする(または欺く)政治が盛んになり、論理ではなく「感情」に訴えかけることが巧みな者が、統治者となっていくのが日本の現状です。
リーダーシップを待望する国民の潜在意識を巧みに利用した政治戦略が、今、広く日本を覆うとしているように思えてなりません。

私の生業とする「国際契約」においては、そのような態度は最も忌避すべきものです。

それでなくとも日本国民は情緒的と言われます。契約でも、「別途誠実に協議して決定する」という定めを置かないと、「契約らしくない」と嫌がられますが、それは、ほとんど意味のないものでしかありません。

社会の問題は、個人の問題に還元するのではなく、社会の問題として扱うこと。
契約上の問題は、当事者が不仲になった時点で役に立つよう、冷徹に、かつ論理のみで組み立てること。

この二つの問題は、同じ根っこを持つように思います。
どちらも日本人が不得手としている点でしょう。

それは、争いを嫌う日本人のよいところでもあるのかもしれません。しかし、問題の本質から目を背け、論理より情緒的な解決を優先する国民性は、戦前の日本のたどった道を想起するまでもなく、国民自身にとって、最もリスキーな選択肢であるように、私には思えます。

少なくとも、法務に携わる方々は、情に訴えた解決を念頭においたドラフティングを一切排除し、ドライに論理のみに根差した契約交渉に努めるべきだと思います。

契約に対する論理優先の考え方を広めることを通し、企業の文化、ひいては社会一般の考え方も、社会の問題を個人の問題や情緒にすり替えるような誤った、あるいは安易な考え方を、できるだけ払拭していければと思っています。